以前書いた内容と重複する箇所も多いですし、いつもどおり回りくどかったりもしますがお許しを。
ホイットニー登場ホイットニー・ヒューストンという名前を初めて意識したのは、確か雑誌FMファンに載っていた当時の現役アイドル早見優さんの紹介記事が最初だったように記憶しています。「すべてをあなたに」のシングル・ジャケットと共に、お気に入りだという旨の短い紹介文が載っていました。
時は85年。80年代の頭ぐらいから少しずつ洋楽に興味を持ち始めていた私。映画好きだった私はまず女優としても活躍していたバーブラ・ストライサンドを好きになり、彼女が歌手として活動している事を知ると、彼女の作品を集めて毎日聞いていました。吸収の早い年代でしたのでほどなく他に何かと探し始めて、当時女性洋楽スターと言えばこの人達だったダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、オリビア・ニュートン・ジョン、シーナ・イーストン等を聴き始め、そうこうするうちに、いわゆる最新のヒット・チャートというものに目を向ける様になっていったのです。
ラジオという媒体をあまり利用しなかったので、必然的に情報はテレビと雑誌から。テレビと言えば、やはり小林克也さんの「ベスト・ヒットUSA」でした。毎週見始めてほどなくチャートを急上昇してきたのが、ホイットニーの歌う「恋はてさぐり(How Will I Know)」でした。ポップなサウンドに美しくて張りのある歌声、抜群の美貌とスタイルは実にPV映えしていました。あぁこれがあのホイットニーなんだと、すぐさまデビュー・アルバム(CDでした)を買いに走りましたとも(smile)。米盤のジャケットは、彼女をまずブラック・マーケットで成功させなくてはいけないというマーケティング上の狙いから、わざとアフロ・アメリカンな部分を強調したスタイリングのアーバンなものにしたという話ですが、日本盤では白の縁取りで、海岸で白いハイレグの水着を着て屹立する彼女の美しい容姿を全面に押し出したジャケットを採用。曲順も、米盤ではデビュー曲であるカシーフ・プロデュースのアーバン・コンテンポラリー色の強い「そよ風の贈り物(You Give Good Love)」からグルーヴィーな「シンキング・アバウト・ユー」という流れでスタートさせるのに対し、日本盤ではポップな「恋はてさぐり」から大人気のパワー・バラード「オール・アット・ワンス」へというレコードで例えるならAB面を逆にした構成でスタート。最近ではこういう各国の内情に合わせた仕様がとられる事は少なくなりましたけど、それだけに彼女をいかにスターダムにのし上げるかと言う計画が、ワールドワイドで綿密になされていたのがうかがえるエピソードだと思います。
とにもかくにもホイットニーのデビュー・アルバムは日本はもちろんの事世界中で大ヒット。米国での成功を例に挙げれば、売上は現在までで1300万枚、1位獲得週数は14週、シングルはNo.1が3枚にNo.3が1枚、86年から87年にかけてこのアルバム絡みで受賞した賞数はグラミー、AMA、ビルボード等併せて20以上に上ります。面白い記録としてご紹介しておきたいのが、発売から1位獲得までの週数が50週間かかったというもの。85年の2月14日に発売されて、初めて1位を獲得したのが86年の3月8日、実に1年以上の期間をかけてチャートを登り詰めた訳で、これがデータが古くなければ史上5番目の記録になっています。以上のデータから見ても、いかにこのアルバムが愛されたかがわかりますよね。
私も本当に、このアルバムは聴き倒しました。このアルバムほど聞いていて、開放感というものを感じる作品は今の今までありません。自由で、しなやかで、美しくて、力強くて。まさに日本盤ジャケットのホイットニーの視線がまっすぐ天に向けられているように、彼女の輝かしい未来を妨げるものなど何もないのではないか、そう信じずにはいられませんでした。いえ本当に、私は当時そう信じていたんです。
ポップの女王今回の訃報を伝えるニュースの中に、彼女を「ポップの女王」と評した記事がありました。
ポップの女王、輝かしい称号ですけど、私はホイットニーを精神的に追い込んでいったのは、このジャンルの垣根だったように思えてならないのです。
正確な事を書きたかったので色々検索してみたのですがヒットしなかったので記憶で書かせていただきます。確かセカンド・アルバムがリリースされた後の、アメリカン・ミュージック・アワードじゃなかったかと思うのですが、R&B部門の最優秀女性アーティストに彼女が選出された際、会場からブーイングが起きたという事件がありました。アメリカン・ミュージック・アワードはグラミーと違って聴衆の好みが割と素直に反映される賞でしたので、たまたまその会場にいた一部の人の考えと合わなかっただけとも言えるのですが、あまりネガティブな話題を聴いた事のないホイットニーだったので、これは私の中でとても印象に残った出来事でした。
前述したデビュー・アルバムのチャート成績は全てポップ部門の記録なのですが、ホイットニーのポップ部門とR&B部門のチャート成績を比較した場合、アルバムはポップで1位が5枚に対してR&Bで6枚、シングルだとポップで1位を獲得したのが11曲に対してR&Bでは8曲、トップ10ヒットはポップで23曲に対してR&Bで26曲という具合。トータル的に見ても彼女は正真正銘のR&Bの女王であった訳ですが、世間の評価は早い段階から彼女をR&Bの女王とは扱っていなかったように思います。デビュー・アルバムの「すべてをあなたに」からセカンド・アルバムの「ブロークン・ハーツ」までで達成したポップ部門での7曲連続1位獲得という未だ破られていない大記録。実はこの時点でのR&B部門の成績を見ると、あの名バラード(ポップでは連続3作目の1位となった)「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」が3位という結果に終わった後、セカンド・アルバムからシングル・カットした楽曲は、ポップでの輝かしい成功とは裏腹に1曲も1位を獲得出来ずに終わってしまったのでした(たぶんこういう事が、AMAでのブーイングにもつながっているのではないかと…)。
実は同時期に、彼女がポップ部門でなしえた7曲連続1位獲得と同じ記録を、R&B部門で達成した女性アーティストがいます。ホイットニーのデビュー・アルバムから遅れる事1年、ジャム&ルイスと組んで今までのアイドル路線から一転、自我を主張するアーティストとして生まれ変わったジャネット・ジャクソンでした(ジャネット、この前後で12曲連続トップ3入りという大記録も持っています)。ポップ部門でも巨大な成功を納めたジャネットですが、その後も彼女の活動基盤はR&Bに根差したものがあり、常にアフロ・アメリカンからの絶大な支持を受けていくことになります。ホイットニー側がどの程度ジャネットの活動を意識していたかはわかりませんが、このセカンド・アルバムのR&B部門での失敗を受け、90年の次作『アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト』では当時ジャム&ルイスと双璧であった人気のR&B系プロデュース・チーム、LA・リード&ベイビーフェイスを招聘、旬のLaファイス・サウンドを得てのR&Bへの軌道修正を行い、見事R&B部門での5年ぶりの1位を獲得させる等、失地の回復を図っていったのでした。
そして92年、銀幕デビューに加えてあの「オールウェイズ・ラブ・ユー」という一大名曲を生んだ『ボディーガード』という特大ヒットをものにした後、特にR&B部門で大きなヒットになった『ため息つかせて』、ゴスペル・アルバムでもある『天使の贈りもの』というサントラ作に続いて、さらに最新のストリート感(Hip-Hop的な要素)を取り入れた名作『マイ・ラブ・イズ・ユア・ラブ』と「黒さ」を増していったホイットニーではあったのですが、それでも彼女をR&Bの女王と呼ぶような風潮は正直あまり見られませんでした。
何故か、という事ですけど、本当に単純な話ですが、それは、彼女が歌い上げる朗々としたバラードが、あまりにも素晴らしすぎたからなんじゃないでしょうか。彼女の多くの人の印象に残ってる代表曲「すべてをあなたに」「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」「オールウェイズ・ラブ・ユー」。またグラミーで披露した神がかり的な歌唱の「ワン・モーメント・イン・タイム」、スーパーボウルでの(録音披露だったとの話もありますが)「スター・スパングルド・バーナー」。どれも、ポップだ、R&Bだ、等という次元ではとても測ることの出来ない名唱ばかり。彼女のよく伸びる強くて美しい歌声は、本当にこうしたスケール感のあるコンテンポラリー系のバラードで遺憾なく発揮されました。
例えばアレサ・フランクリンの歌う「エイント・ノー・ウェイ」や、グラディス・ナイトの歌う「恋の苦しみ」等のソウル・バラードの名曲・名唱と比較すると、わかりやすいかもしれません。R&Bの魅力には、言葉では表しにくいんですけどグルーブ感というものがあります。アフロ系の方々だけが持つ、独特なリズム感とでも言えばいいのでしょうか。また、「溜め」であったり「粘り」であったり「厚み」であったり「押し引き」であったり、R&BをR&Bたらしめている数々の魅力があると思うのです。アレサやグラディスの歌には、まさにこういう要素が満ち満ちています。ホイットニーも、既にデビュー作のカシーフ作品等で証明されているように卓越したグルーブ感を持ていましたし、ライブではスタジオ録音とは大胆に歌唱スタイルを変えて、ソウル・アーティストらしいコクのある歌唱をいつも披露していました。またこういう路線で4thには「アンティル・ユー・カム・バック」という名曲も残しています。ただ、彼女の場合そういったソウル的な技巧が邪魔に思えてしまうぐらい、ストレートに歌いあげるバラードが素晴らしすぎた=聴衆が求めていたんじゃないかと思うのです。
ホイットニーのアイドルは、正にクイーン・オブ・ソウルの称号を持つアレサ・フランクリンであり、カバー曲を披露したチャカ・カーン等の、R&B界の歌姫でした。ホイットニーは、きっとアレサやチャカのようなR&B界で認められる存在に、ただなりたかったんじゃないかと思います。思えば彼女は、「恋はてさぐり」のPVの中に憧れのアレサのPVを挿入したり、チャカの「アイム・エブリ・ウーマン」の時は曲中で彼女の名前を連呼したりと、非常に無邪気な一面を持った人でありました。そういう本人の真っ直ぐな憧れや希望とは裏腹に、世間は彼女がR&B界だけの歌姫に留まることを望まなかった。彼女のデビューの際、黒いバーブラ・ストライサンドという表現が既に使われていました。あのアレサとは対極に位置するダイアナ・ロスがソロ・デビューをする際に用いられた表現が同じものだったように、エンターテイメント色の強いブラック系の女性アーティストを表するのによく用いられるのが、黒いバーブラという表現。ゴスペル系のシンガーとして活躍した母シシーもいれば、R&B界よりもポップス界の黒い真珠と謳われた従姉妹ディオンヌ・ワーウィックのようなシンガーもいるホイットニーの血筋。その両方を兼ね備えた最強のシンガーがホイットニーだったはずなのですが、世間が求めたものは彼女がなりたかった存在以上の存在であった。そこに生まれたジレンマが、少しずつ彼女を苦しめて、彼女を違う方向へと追い込んでいった気がするのです。
※追記:デビュー前のライブ映像等を見ると、やはり濃厚なソウル・シンギングを披露しているホイットニー。レコーディングの際、かなり矯正されたふしがありますよね。あまり黒く歌いすぎるな、こういうレコード会社の指示があったのではないでしょうか。そのほうが彼女の美しい歌声が映えるからと…。
絶頂から…『ボディーガード』という、今からすれば彼女のキャリアの頂点とも言える時期、ホイットニーは当時R&B界で一番人気のあった若手男性シンガーのボビー・ブラウンと結婚をします。公私ともに、本当に幸せの絶頂を迎えたはずのホイットニーでしたが、残念ながらこの後、彼女の人生は大きく傾き始めてしまいます。夫のボビーが元凶と言われていますが、ドラッグにはまり、アルコール依存になり、その夫ボビーからのドメスティック・ヴァイオレンス等、音楽的な話題よりも、常にゴシップ欄を賑わすゴシップ・タレントへと変わっていってしまいました。本当に優等生のイメージだったホイットニーの変貌は、とてもショックでしたね。そして彼女はその代償として、あの天から授かった最上の贈り物と言うべき「声」を失ってしまったのです。アルバムで言えば、98年リリースの『マイ・ラブ・イズ・ユア・ラブ』辺りから顕著になってしまったでしょうか。1曲目の「イッツ・ノット・ライト・バット・イッツ・OK」を初めて聞いた時の衝撃は今でも忘れられません。のどに何かがつっかえているかのような苦しそうな歌声…これがあのホイットニー???吃驚して声も出ませんでした。このアルバム、聴きこむ内に声の衝撃にも慣れ、良曲が多い事もあって好きになってはいったのですが、それでもたまにベスト盤等で、これ以前の作品(特に1、2作目の曲)から急にこのアルバムの曲が出てくると、今でもドキっとしてしまいます。
このアルバム以降、彼女の作品から、かつての美しく伸びやかな歌声が聞けることは叶いませんでした。2009年、久しぶりにリリースされてチャート上ではポップとR&Bで1位を獲得し、復活作と言われた『アイ・ルック・トゥ・ユー』でも、残念ながらあの輝かしい歌声は戻っていませんでした。それでも内容としては非常に充実した作品ではあったので、今後の活動を楽しみにしていたここ最近。今年の夏にはかつてアレサがサントラを担当したシュープリームス的な女性R&Bトリオを主人公にした『スパークル』のリメイク作にて久しぶりに映画に出演、既に「ため息つかせて」の続編への出演もアナウンスされ始めた段階での…まさかの悲劇でした。
2月11日、翌日開催のグラミー賞のプレ・パーティーに出席するためにビバリーヒルズにあるビバリー・ヒルトン・ホテルに滞在していたホイットニーでしたが、浴室の中に倒れているところを発見され、そのまま帰らぬ人となってしまいました。享年48才、そのあまりにも早すぎる死に、世界中が衝撃を受けました。本当にこんな形で彼女とお別れをすることになるなんて、誰も思っていなかったことでしょう。18日、ホイットニーの故郷であるニュージャージー州のニューアーク教会で葬儀が行われ、彼女は03年に亡くなった父親の隣に埋葬され、永遠の眠りについたのです。ただそれが安らかなものであることを、今は祈りたいと思います。
彼女の残したものホイットニー・ヒューストンという稀代のシンガー。彼女は逝ってしまったけれど、彼女はもの凄い贈り物と功績を、私たちに残してくれています。
彼女の歌った歌は、永遠に私たちを楽しませ、酔わせ、励ましてくれることでしょう。これから生まれてくる次の世代にも、その次の世代にも、きっと彼女の素晴らしい歌声は伝わっていくはずです。またそれを伝えていくのが、同時代に生きて彼女の歌に喜びをもらった私たちが出来る事だと思います。
そして今R&B界で活躍する中堅から若手の女性シンガーで、ホイットニーの影響を受けていない歌手は一人もいないのではないでしょうか。彼女の歌を聴いて、彼女のように歌いたいと思って歌手を志した人はいったいどれだけいたことか。その中からプロの歌手となった者が生まれ、今のR&Bの世界を間違いなく支え、構築しているのです。今のポップスを凌駕するR&Bの繁栄は、ホイットニーが作ったと言っても過言ではないかもしれません。
あらためて思うのですけど、R&Bの世界で決して高い評価を得ている印象がないと書いてきましたが、実際これはこの日本にいて、様々な日本のメディアを通して発信されてきたことを受けての私の長年の印象なんです。実際にあちらでもAMAでのブーイングの件等そういう風潮があったのも事実かもしれませんが、ただ現実に若手R&Bシンガーのほとんどが心からのホイットニーへの憧憬を口にするのを聴いてきて、いわゆるブラック・コミュニティの中でも、彼女は確実に評価されていたんだなというのを近年感じます。それはやはり、ジャンル等というつまらない枠組みを軽く飛び越えてしまう彼女の歌声に純粋に心を揺さぶられたから、皆が彼女を愛してやまなかったからだと思うのです。良いものは良い、ただそれだけ。そこに理由なんて、必要ないですよね?
…という事で、何だかダラダラと書き上げてしまいました。まとまったんだか言いたいことを伝えられたんだか、後で読み返してアチャーっとなりそうですが、自分の気持ちに整理をつけるために書かせてもらいました。事実と違っているところや、思い込みが偏り過ぎてたりしてるところもあるかもしれません。平に平に、ご容赦を。
最後に、本当に有難うホイットニー。
愛しています。
どれも素晴らしいです。「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」は、本当にPVも傑作。
グラミーの「ワン・モーメント・イン・タイム」、神が降りてます。
ナタリー・コールとの凄まじき共演。この二人がソウル歌手じゃない?馬鹿な!
「オールウェイズ・ラブ・ユー」の本当の意味がわかって、結婚式で使う人が減りそうですね。
ホイットニー盤のエッセンシャルが出てる!…と喜んだのもつかの間、2000年にリリースされた『グレイテスト・ヒッツ』の名前を変えただけの商品でした。人気のあるベスト盤ですが、リミックスというものにあまり関心がない自分としては、普通にシングル・バージョンを収録した大容量のベスト盤をいつか出してほしいなぁと思います。いつかっていうか…追悼盤としてすぐにもリリースされそうですね。
で、ホイットニーのアルバムが日本で紙ジャケ化された時に書いたレビューですが、せっかくなので貼っておきます。こっちのほうが、すっきり言いたい事がまとまってる気がする…。
「そよ風の贈りもの」→
http://suzuenta-etc.seesaa.net/article/117868774.html「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」→
http://suzuenta-etc.seesaa.net/article/117871914.html